top of page
検索

問題児がアメリカ高校へ留学。

  • 執筆者の写真: IKKI OKUHIRA
    IKKI OKUHIRA
  • 2024年6月1日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年6月2日


ree

人生の最初の大きな試験『高校受験』を2018年に迎えて、僕は沖縄県内の高校へ進学しバスケと遊びを両立させて、みんなが送るようなごく普通の高校生活を想像していました。志望校も徐々に絞っていって、先生との面談の日...

その日が僕の人生を大きく変えました。その時の内申が3.8、目指していた高校は余裕レベルの成績。勉強はやればできる。そんなメンタルで臨んだ面談。

先生からの一言。「県内で取ってくれる高校はないよ。どうする?」

一瞬で頭が真っ白になって、思いつく節が一つもありませんでした。そして、先生に「県内で取ってくれる高校がないってどういうこと...」と聞くと。

中学一年生の頃を振り返ってみてと...そう『生徒指導14回』。笑

1年生で暴れ遊びすぎて、まさか高校受験まで響くとは思ってもいませんでした。「県内で取ってくれる高校がない」という状況に...

そして大好きなバスケを通して、僕を取ってくれる高校を探し辿り着いたのが大分県の高校でした。そこはウィンターカップ常連校でバスケが強く、スポーツ校のようなところでした。そこの監督が沖縄まで来てくれて、自分のバスケを見てくれ、どうにか無理な推薦で学校にもお願いしてくれて受験、合格することができました。

そこから親元を離れ寮生活が慣れてきた頃、急にアメリカでバスケしてみたいという憧れを抱き始め、一人でコツコツと情報を集めていきました。そして高校1年生半ばに実家へアメリカ留学の資料を大量に送りつけ、行きたいとは言わずに物理的に憧れを両親に示し、1年生が終わる頃に高校をやめてアメリカに行きたいと両親へ伝えました。

高校もどうにか推薦で入学したのに1年生で退学?自分の周りの人たちは皆んな大反対でした。

だがお父さんだけは僕の背中を押してくれ、「今しかできないから頑張れ」と言ってくれ、その言葉でアメリカに行くことを決め、高校を退学し2019年8月に日本を旅立ちました。

そこからがIKKI’s留学の始まりです。

 
 
 

コメント


bottom of page