ワクワクでついた🇺🇸MSP空港で入国拒否...
- IKKI OKUHIRA
- 2024年6月6日
- 読了時間: 3分

2019年8月、日本を旅立ち、アメリカでの高校留学をスタートさせました。英語力ゼロだったにもかかわらず、『アメリカでバスケができる!』ということだけが頭にあり、両親や友達と別れるのも笑顔でお別れしました。
那覇空港 ✈︎ 成田空港 ✈︎ ミネアポリス🇺🇸空港 ✈︎ ダラス・フォートワース空港への乗り継ぎでした。
成田を飛び立ち、初めてのアメリカ、ミネソタ州ミネアポリス[MSP]空港に着陸し、人生初の『入国検査』を迎えました。
留学前にYouTubeで練習していたので、そこもドキドキせず、自信満々で列に並んでいました。すると、審査官が"NEXT!"と叫び、一瞬で凍りつきました。パスポートや書類を渡し、入国時の質問を待っていたら、審査官が"Is this real?"と聞いてきました。練習したことのない英語だったので、黙秘を貫きました。
すると、二人の検査官が来て、別の部屋に連れて行かれました。そこには、テレビで見るような密売人っぽい人やギャングのような人たちが十数人いて、待っているだけで心臓が止まりそうでした。
乗り継ぎの飛行機があるまま、入国できず待つこと20分。名前を呼ばれ、個室に入ると、検査官と私、そして、私の後ろに銃を持ったボディガードのような人が三人見張っていました。
そんな中、始まった個人面談。検査官が「この学生ビザは偽物です。本物はどこにありますか?」と聞いてきました。最初に言った言葉は「はぁ?『huh?』」。VisaとFake、not realだけ聞き取れ、意味を理解しました。そこから検査官と1ワードだけの言い合い。
検査官『This is not real.』僕『This is real.』その言い合いだけで10分以上。
書類には大使館からのサインが書かれてあって、ちゃんと紙も凹んでいて本物のサインだよと言っても、検査官は『This is not real.』と。半泣き状態の僕。「本物はどこ?ないとGo back to Japan.」と言われ、キャリーケースの中に入っているかもと言うと、後ろにいたボディガードが二人来てキャリーケースを受け取り、一緒に連行されました。僕は中に書類がないと分かっていながらも、ありそうな雰囲気を出してキャリーケースを開けました。当然、渡したのが本物なのであるわけがありません。
また、個室に連れて行かれ、言い合い開始。2回目、検査官が「日本に帰らないといけないよ」と言ったとき、もうアメリカには絶対に来ない、留学なんていいやと諦めかけました。半泣き状態の僕、今すぐ日本に帰りたかった。
それから、検査官が色々調べ、大使館・留学会社・留学先の高校など色々連絡を取り、ちゃんと自分の名前があり、検査官も「本物だね」と言い、今まで一切笑顔を見せなかったのに、笑顔で「アメリカ生活楽しんでね」と。別に嬉しくはなかったけど、あの笑顔と言葉は一生忘れません。
半泣き状態で次のフライトを探しまわっていると、放送で名前と番号を呼ばれた気がして、とりあえず聞こえた番号43番に走り、超ギリギリで登場し搭乗できました。
アメリカに到着してから大忙しで、ホストファミリーにも家族にも何一つ連絡できず、頭の中は『早く誰かに会いたい』でいっぱいでした。最終目的地のダラスに着き、ホストファミリーが誰かもわからないまま、初対面なのにIKKIと書かれたサインを持った家族がいて、それを見た瞬間、大号泣しながらダッシュで行き、自己紹介もしないまま大ハグしました。笑
人生で初めてあんなにホッとした瞬間で涙が止まりませんでした。
色々ありすぎましたが、どうにか無事に入国でき、ホストファミリーとも合流できて、アメリカ高校留学をスタートさせました。今思うと、あの時に「I will go back to Japan」と言わずに、泣いて耐えてよかったなと思います。
そのおかげで色々な経験ができ、みんなにシェアしたり笑い話になるので、諦めないでよかったです。
これが最高のアメリカ留学の始まりです。
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