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『英語』が人生を変えてくれた。

  • 執筆者の写真: IKKI OKUHIRA
    IKKI OKUHIRA
  • 2024年6月13日
  • 読了時間: 4分

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小さい頃、僕は英語に全く興味がありませんでした。しかし、年を重ねるにつれて色々な国の人々と出会うようになり、彼らとコミュニケーションを取りたいという気持ちができ始めました。英語は喋れないけど、僕は自分に刺激が欲しく挑戦しようと思いました。

とても恥ずかしがり屋で、人と話すのがそこまで好きじゃなかったけど、言語の壁を乗り越えるためには、恥ずかしがらず、間違いを恐れず、常に自分の気持ちを伝えるようにと全力を尽くし努力しないと話せないと思いました。

小学5年生の時、バスケットボールのチームメイトの一人がアメリカ人のハーフでした。彼のお父さんは日本語がわからなかったので、誰も彼とコミュニケーションを取ることができませんでした。皆、英語を話せなかったので、友達のお父さんと会話をしませんでした。僕は自分の声で彼に気持ちを伝えたいと思いました。そこで僕は少しずつ英語を勉強し始めました。知らない単語があれば、辞書で調べ、常に持ち歩いていました。少しずつ英語が身についてきて、早く英語を話すネイティブと話したいと思うようになりました。しかし、実際に英語ネイティブの人が目の前に現れると、勇気が出ず一言も喋れませんでした。でも、友達のお父さんは僕に気づき、カタコトの日本語で「ありがとう」と言ってくれました。彼はカタコトの日本語にも関わらず恥ずかしがらないで話してくれて、これがとても自分の自信になりました。

その瞬間、完璧な文章を作って話す必要はないことに気付き、大事なのはまず話す努力をし、挑戦し続けることだと思いました。それ以来、僕は徐々にコミュニケーションを取るように自分を追い込み、達成感を感じるようになりました。それ以来、英語という一つの壁と戦い続けています。

2016年11月、一通の手紙が届きました。ハワイからの手紙で、全て英語で書かれていました。僕は一語一語翻訳し、祖父の親戚であるタイショウという人からの手紙だとわかりました。彼は世界ウチナーンチュ大会で沖縄を訪れ、僕たちの家を訪問したいと手紙に書かれていました。僕たち家族はこのニュースを聞いてとても興奮し楽しみでした。

タイショウが沖縄に到着したとき、彼がとても親切で気さくな人で、とても話しやすかったです。僕の家族は僕に通訳を頼み、僕は通訳なんてできないと思いました。しかし、自己紹介のとき、タイショウは「間違っても大丈夫」と言ってくれました。その言葉を胸に刻み、英語×日本語の会話を一生懸命に翻訳することができました。理解できないことがあっても、タイショウはゆっくり話してくれたり、簡単な単語を使ったりしてくれました。彼の優しさは僕にとって大きな助けになりました。

その夜、僕たちは歓迎会を開き、すぐに親しくなりました。三線を弾いて一緒に歌ったりしました。歌っていると、タイショウが泣いていて、なんで泣いているのと聞くと、彼は「歌声じゃなくて三線の音が綺麗」と言いました。これぞアメリカンジョーク。笑

僕たちは彼にカチャーシーを教え、みんなでとても楽しみました。その夜、彼をホテルに連れて行った後も踊り続けていました。

彼はハワイに帰り、それ以来も、僕たちは連絡を取り合っていました。彼は毎日LINEで「明日はハイキングに行くよ。沖縄ファミリーも来て!」というメッセージを送ってきました。僕はとてもハワイに行きたいと思いました。

2017年、初めての海外旅行で、ハワイでのハイキングや釣りを楽しみました。ハワイの人たちはフレンドリーでとても話しやすかったです。沖縄では「イチャリバチョーデー」という言葉があり、これは一度出逢えば皆兄弟という意味ですが、ハワイの人々は沖縄の人々よりも「イチャリバチョーデー」だと感じました。小学5年生の頃は英語を話せませんでしたが、ハワイでの2週間はとても大きな経験になり話せるようになりました。ハワイでは多くの人々と出会い、今ではハワイの大学に行きたいと思っています。

僕は恥ずかしがらずに挑戦することで言語の壁を乗り越えることができ、多くの人々と出会い、新しい道を開くことができました。これらの経験がどこに続いていくのか、挑戦し続けることが楽しみです。

挑戦することがあなたの新しい道を開きます。

 
 
 

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